(映画レビュー)名作「ぼぎわんが、来る」の映像化「来る」(監督:中島 哲也)
どうしてこうなった。
Ⅰ.ストーリー
『告白』の中島哲也監督が澤村伊智のホラー小説を映画化。オカルトライターの野崎は、身の回りで怪異現象が相次いでいるという男・田原の相談を受け調査を開始する。だが、田原家に憑いている“何か”は想像を遥かに超えて強力なモノだった。(amazonより)
Ⅱ.名作「ぼぎわんが、来る」の映画化
本作は、第22回日本ホラー大賞を受賞した「ぼぎわんが、来る」を原作とした映像化作品となります。原作小説に関しては以前レビューさせてもらいましたが、大賞受賞作という名に恥じない、素晴らしい作品です。
その大賞作が満を持して映像化。
主演陣も妻夫木聡、岡田准一、松たか子、黒木華と第一線の主役級を揃え、監督も「告白」「渇き。」で有名な中島哲也。
キャスティングは上々、前情報としては十分に期待できる内容。
そう、前情報としては…。
Ⅲ.【良かった点】妻夫木の演技が秀逸
本作を評価する上で、最も良かった点と言えるのは、やはり妻夫木聡の演技でしょう。今回怪異「ぼぎわん」に見舞われることになる夫婦の夫を演じる妻夫木聡ですが、原作のイメージと寸分違わぬ演技をしてくれました。
一見妻や子供に理解があり、明るく素晴らしいパパ。でもそれは薄皮一枚の表面でしかなく、本当は見栄っ張りで他人の評価しか気にしない男。そんな薄っぺらい男、田原秀樹を見事に演じきっています。
また原作ではちょい役だった逢坂セツ子演じる柴田理恵も原作イメージそっくりでした。準主人公でもあり比嘉姉妹の妹、比嘉真琴も良いですね。この辺りのキャラ立っているキャラクターを、上手く映画に落とし込めているのは高評価です。
Ⅳ.【不満点】ホラー映画じゃなくなった
Ⅳ-1.改変が凄い
この映画、原作を見ているとわかるのですが、大幅な改変がされています。
原作では「現代社会(田原一家)の問題」と「怪異」を上手くリミックスさせていましたが、映像化にあたっては「現代社会の問題」へ大きく舵をきっています。田原一家はより問題のある家庭として描かれ、映画オリジナルのシーンもそれを描く場面に時間が割かれています。
この辺りは、監督である中島監督が影響しているでしょう。中島監督はホラー映画は撮ったことないですから、自分の得意な愛憎劇へシフトしたのは無難な判断かもしれません。
しかし、「現代社会の問題」にシフトした結果、「怪異」のシーンを大幅にカットされたのが個人的には不満点です。「怪異」自体を描かない、というのは良いと思うのですが、ホラー好きとして面白い原作シーンがカットされたり、怪異の描き方自体もお粗末だったりと、ホラー映画として非常にお粗末です。
この辺りに関しては、原作が好きな人や、本作をホラー映画として見た人ほど不満点に思うかもしれません。
Ⅳ-2.岡田准一が岡田准一の演技
漫画でもオラオラ系の登場人物となっている、オカルトライターの野崎。
本作でも岡田准一が演じていますが、本当に「岡田准一」の演技でした。岡田准一の演技って、一昔前の(いや、今もかもしれませんが)木村拓哉の演技を思い出します。ハマればとても良いのですが、ハマらないと違和感を感じる、そんな演技。木村拓哉もそうなのですが、自身自体が一人のキャラクターとして確立しているので、演じる幅が狭いんですよね。
まぁ、そこまではいいんですよ、そこまでは。
Ⅳ-3.主人公「岡田准一」へ
そう、そこまでは良かったのですが、悪かったのは「岡田准一を主役に据えて、岡田准一が活躍する映画にした」ことです。
確かに原作でも、岡田准一演じる野崎は第3部の主人公ではありますが、あくまでストーリー回し、狂言回しとしての主人公でした。
これが、映画だと活躍ぶりも主人公レベルになります。ホラー映画なのに、アクション映画かな? という感じのシーンも多々発生し、徐々に原作好きの身としては首を傾げたくなるシーンが増えてきます。
タクシーが吹っ飛んだり、JKの巫女さんが踊ったり、坊主と宮司が揃ってお経や祝詞を唱えたり。
徐々に求めて行く映画と離れていく。段々と鈴木雅之のあの曲が頭の中に流れ始め、最終的にはフルコーラスになっていく。
Ⅴ.総評
まぁね、基本的に中島監督はホラー映画監督ではない、というのに尽きる作品ではないでしょうか。エンターテイメント作品としてみるのであれば、山あり谷あり岡田准一ありで面白い作品かもしれません。
でもホラー映画としてはダメ、まぁ描き方からしてホラー映画として撮ろうとはしていないんでしょうけど。
とても好きなホラー作品だった為、原作通りに描いて欲しかったです。無念。
(100映画レビュー:22本目)