(書評)ぼぎわん、初のミステリーに挑む「予言の島」(著者:澤村 伊智)
日本ホラー大賞受賞者、初のミステリー作品。
Ⅰ.あらすじ
瀬戸内海に浮かぶ霧久井島は、かつて一世を風靡した霊能者・宇津木幽子が生涯最後の予言を遺した場所だ。彼女の死から二十年後、“霊魂六つが冥府へ堕つる”という―。天宮淳は幼馴染たちと興味本位から島へ向かうが、宿泊予定の旅館は、怨霊が下りてくるという意味不明な理由でキャンセルされていた。そして翌朝、幼馴染のひとりが遺体となって発見される。しかし、これは予言に基づく悲劇のはじまりに過ぎなかった。不思議な風習、怨霊の言い伝え、「偶然」現れた霊能者の孫娘。祖母の死の真相を突き止めに来たという彼女の本当の目的とは…。あなたは、真実に気づくことができるか―。比嘉姉妹シリーズ著者初の長編ミステリ。(BOOKデータベースより)
Ⅱ.初のミステリ
「ぼぎわんが、来る」で日本ホラー小説大賞を受賞した、澤村伊智初のミステリー作品。
処女作から全作追っかけている私ですが、ついにミステリを書いたか、というのが正直な感想です。
まぁ前作から三津田信三を意識した作品も作っていますし、ホラーとミステリーは親和性も高いので順当と言えるでしょうか。恐怖小説キリカでサイコスリラーも書いているので、ミステリを書くのは時間の問題といえたでしょう。
しかし今回は角川書店発行ということで、比嘉シリーズかと思っていました。まさか初のミステリで来たのは驚きといえば驚きです。
ということは、長編の比嘉シリーズを読めるのはしばらくお預けということですね、残念。
Ⅲ.パーフェクトな序盤展開
はてさて、そんな澤村先生のミステリ処女作ですが、まさかのクローズドサークルできました。
物語の舞台は瀬戸内海に浮かぶ、住人数十名の孤島。登場人物はその住人に加え、偶然居合わせた民宿の宿泊客。過去の霊能力者が残した予言通り、夜最初の犠牲者が出る。果たしてこれは、島に伝わる「ヒキタの怨霊」の仕業なのか。
この出だし、とても良い。
まぁミステリーとしてはありきたりではありますね。未読ですが横溝正史の「獄門島」がこんな感じらしいですね。既読作品だと、有栖川有栖の「孤島パズル」を思い浮かべました。
ホラーとミステリの融合作と捉えれば、三津田信三の「のぞきめ」が雰囲気の似た作品と言えるでしょう。
ミステリはともかく、ホラーとして「ありきたり」というのはそれほどマイナス点ではありません。ホラー映画もそうですが、このジャンルは「お約束」が結構重要なのです。
出だしとしては十分でしょう。出だし〜最初の殺人迄の流れは、ホラーミステリを体現する大御所・三津田信三作品と比べても遜色ありません。
Ⅳ.機能不全な叙述トリック
と、ここまではいい作品です。
この作品、ちょっとネタバレすると叙述トリック系です。いや、初のミステリ作品が叙述トリック系とは思い切ったことをしましたね。
しかしバッサリと言えば、この叙述トリックが本当に・・・実に本当に、ダメな叙述トリックでした。
本来叙述トリックは、その物語の真相を劇的に覆すものです。
イニシエーションラブは純情な彼女を描いた作品かと思ったら、実は二股かけた計算高い彼女だったとか。向日葵の咲かない夏の、登場人物がほぼほぼ主人公の妄想だったとか。
そこまでAという結末に向かって収束してきたと思ったのが、全く違うBという結末にわずか数行で、いや一行で切り替えてしまうのが叙述トリックです。
しかし本作の叙述トリックは違います。
叙述トリックが明かされても、結末としては予想できたAという結末です。最後の殺人にこの叙述トリックが使われますし、読み返してみると「あぁ確かに伏線はあるな」と読み取れます。
しかし、そのトリックにより物語が劇的に変わるわけではありません。
例えば三津田信三の「のぞきめ」の様に、推理の後にホラーからミステリーへと変わる様な仕掛けもありません。何故なら、本作のホラー要素は叙述トリックが明かされる前に解決されているからです。
ということで、本来叙述トリックによる「驚き」が本作では全く効果的に演出できていないのです。
Ⅴ.微妙だなぁ
ということで、序盤はパーフェクトなのに、余計な叙述トリックを付けたことで本作は非常に消化不良な作品となっています。
正直、叙述トリック無かった方が作品としての完成度は高いと思いますね。「ヒキタの怨霊」をもう少し引っ張った方が面白みがあったのではないでしょうか。
初のミステリ作品としては正直不発感を感じざるを得ません。
頑張れ澤村伊智、色々チャレンジする気持ちはわかるが、そろそろ安定の比嘉シリーズ新作を出してくれ。
(100書評チャレンジ:39/100冊)
(追記)
叙述トリックが分かったところで二度読みしてみました。
叙述トリックが本当に機能してないと書きましたが、訂正が必要ですね。叙述トリック自体は綺麗に機能していました。しかし、ストーリー描写として効果的に使われていないというのが正しい表現でした。