雨の日の大人たちは

「100食」「100本」「100冊」「100記事」をテーマに、ダウナーなアラサーが日記書いています。

2011年3月11日、僕はバイトに出かける準備をしていた

 2011年3月11日、僕はバイトに出かける準備をしていた。

 大学4年生の3月である。その時僕は大学のある関西に住んでいて、一人暮らしをしていた。周りが卒業旅行で浮かれる中、4月に内定先の企業に入社を控えながらも、僕はまだバイトをしていた。何しろ、当時はあまりお金がなかったし、それにバイト以外にやることもあまり無かった。

 金がある今思えば勿体ない過ごし方だと思うが、金があるときは時間がなく、時間があるときは金がないものとはよく言ったものである。

 確か15時30分からバイトに入る予定だったので、15:00くらいに家を出ようとしていた記憶がある。部屋着から外着に着替えながら、今は懐かしいPCとテレビが一体型の画面で、昼のワイドショーを見ていた。

 そんな時、見ていた番組が切り替わり、大きな地震が発生したと緊急ニュースが流れ出した。その時はまた地震か、と聞き流してバイトへ出かけた。

 自体を知ったのはバイト中だった。後から入ってきた同僚が、関東でとんでもない地震が発生していると伝えてきた。何時もと変わらない店内で、何かとんでもない自体になっているという霧がかった情報が、周囲を包みこんでいた。

 

 そんな日からもう9年となる。

 僕は30を過ぎたおっさんになり、結婚をし、新卒で入った会社で役職が付いた。そして、夏には子供が生まれる予定である。

 昔は毎年のようにやっていた3.11の特集番組も、今年は昼間に数件あるくらいで、ゴールデンに追悼番組の予定はない。

 被害にあった当事者ではないので、時間が立つと傷が癒えるのかは分からないが、世間は3.11をようやく過去にしつつあるのが分かる。

 9年という時間は人が変わるには十分だけど、根本を変えるには短い。外見と上辺だけが大人になり、内面は大学の頃からこれっぽっちも変わっていない。

 そんな人間があと数カ月で人の親になるのだから、生まれてくる子供への希望よりも、この子を立派な大人へ育てることができるのか、不安を感じる。個人的な経験として、物事というのは悩んでも仕方がなく、大事なのは行動に移す一歩目のアクションだと思っている。子供なんていうのは、意外と親が放っておいても育つのかもしれない。

 しかし、ふと大学生だったときの自分と、9年前の3月11日を思い出す。卒業前、社会人として踏み出す一歩を迫られた自分の状況は、限られた情報の中で霧がかっていたバイトの店内と同じだったのではないか。

 その霧の中を僕は9年歩いてきたが、未だ霧が晴れていないように感じる。それは人生という道において、自分が明確な一歩を踏み出せていないのかもしれない。

 来年は震災から10周年、恐らく世間も再度3.11について考える年になるだろう。その時は僕も、霧がかった人生から抜け出していたいと強く感じるのである。